野母崎水仙のルーツをたどる
その美しい風景と甘い香りで、野母崎地区の水仙は日本の「かおり風景100選」の地としても選ばれている

    九州の最西端にある長崎半島の先端に位置する野母崎総合運動公園。その園内にあるのが「水仙の里公園」です。そこに植えられている水仙の数はなんと1千万本。毎年1月から2月にかけて水仙まつりが実施されており、今回も例年通り県内外から多くの人が訪れ、来場者は独特の香りと軍艦島を背景にそよ風に揺れる水仙に見入っていました。     水仙の出荷地としても知られている同地区ですが、そのルーツをたどってみるとJA長崎せいひが深いかかわりを持っていたことがわかりました。今回は野母崎地区が何故「水仙の産地として発展したのか」や「のもざき水仙まつりの起こり」についてご紹介したいと思います。

 



野母崎地区の水仙

    野母崎地区に水仙が植えられたのが戦前。それから戦時中は食糧難のため芋畑に変えられていましたが、戦後に食糧需給が落ち着いてきたとき、また水仙畑が復活しました。当初、野母崎地区の水仙は長崎花卉市場へ野母崎の出口地区の生産者20~30名が出荷をしていました。
   長崎での需要は限られているため、出口地区の生産者らは供給過多にならないよう量を調整しながら出荷をしていました。

 

慢性的な課題の解決に向けて

    昭和59年ごろ、当時の野母崎地区の農業はびわや野菜が中心でした。しかし、たぬきやカラスによる農産物の被害が安定生産に支障をきたしており、同地区においても慢性的な課題となっていました。
   その問題を打開するために立ち上がったのが当JA(合併前のJA長崎)の野母崎支店です。「既に自然栽培されている水仙なら、地元から球根を調達できるし、獣による被害は少ないだろうと思った」と当時このプロジェクトを企画した職員は話します。JAと野母崎役場がタッグを組み、野母崎産水仙の県外販売に向けて本格的に水仙の産地にしようと動きだしました。

 

採算性の高い水仙づくりに向けて

    産地化の推進というところで、まずやらなければならないことは新規植栽量の確保です。生産者(部会員50人)の一人あたりの生産量1万個で50万球の普及計画を立てました。また、日本一の水仙の産地である越前水仙(福井県)に負けない水仙とするため、促成栽培で年内出荷をすることで、市場供給過多となる時期を避け、高単価での取引につながるよう生産戦略を立てました。
   また、球根の仕入れについては、当時の相場で球根一球あたり20~30円程度であったため、既に自然栽培をしていた出口地区の生産者に交渉し一球当たりの単価を10円程度で仕入れることができるようにしました。

 

生産者の確保に

    生産戦略と仕入れのお膳立てが出来た上で、いよいよ一番大変な生産部会員集めに入りました。新たな農産物の栽培をするということは生産者にとっても一つの賭けです。いままで身近に栽培されていた水仙の花を本格的に県外に販売するということに抵抗を感じる生産者も少なからず居たことでしょう。そのような状況で、生産者の確保に向け、JAと行政で説明会開くことにしました。初めての説明会に集まったのはわずか10人。これでは計画通り産地化を行うには到底足りない人数でした。
   それからはさらに本腰を入れて地区ごとに説明会を行いました。10月~12月までの間、野母崎地区内の組合員招集し、順番に産地化の必要性と他産地に負けない販売戦略の説明を行いました。その説明会の回数は実に50回以上もなったそうです。説明会を繰り返すうちに徐々に組合員にもJAと役場側の熱意が伝わってきたようで、最後に行った全体説明会の際には100人もの人が集まったそうです。「説明会を重ねるにつれて、毎回予想を上回る人が来てくれるようになった。資料が足りなくてあわてて増部したのを覚えている」と当時の担当職員は振り返ります。

 

野母崎ブランドの長崎水仙へ
「水仙の里野母崎の長崎水仙」というブランド名で関西や九州の市場へ向けて出荷している

   JAによる水仙の産地化の運動に賛同した組合員ら約80人で本格的な共販用の水仙の生産が始まりました。商標は「水仙の里野母崎・長崎水仙」です。全国を相手に水仙で勝負するため「長崎水仙」として売り出し、その水仙の発祥であり、メインの産地として野母崎の名も商標に残しています。
   また、視覚的なPR効果としてマスコットキャラクターを作成。水仙が中国から日本に伝わった事と、当時中国から日本の動物園にパンダが輸入され、ブームを巻き起こしていたことに掛けて「ファンファン」と「トントン」というかわいい親子パンダのキャラクターにしました。

 

野母崎の水仙の発展を目的としたイベントへ

    野母崎の水仙の産地化が本格的に動き出し、関西や九州の市場に向けて販売がスタートしました。野母崎支店では野母崎地区が水仙の産地としてさらに発展して行くよう、農業振興を目的としたイベントを昭和61年に野母崎支店で開きました。実はこのイベントが後の「のもざき水仙まつり」へとなったわけです。
   JA主催の農業振興を目的とした水仙まつりのイベントは、野母崎地区が水仙の産地として、年々有名になっていくにつれて、地域の発展を目的とした観光向けのイベントへと変わっていったのです。
   軍艦島を背景に、潮風に揺れる日本水仙。その美しい風景と独特の甘い香りで、野母崎地区は日本の「かおり風景100選」の地としても選ばれています。
   野母崎地区は西日本屈指の水仙の産地として発展し、さらに、地域お越しの一環として現在も野母崎地区のシンボルとなっています。野母崎地区が現在のように水仙の里としても、産地としても、観光地としても発展することが出来た背景には、JAや行政、そして産地化に賛同した組合員達の情熱と高い志があったのです。